【フィリピン労使関係】貧困が蔓延、でもストライキは少ない?
ところで実際に貧困状態の国民がどれだけいるかは定かではないものの、フィリピン中に貧困が蔓延しているということ自体は否定できません。そうすると「資本主義社会なんだから低賃金や多数の貧しい国民に怒った労働組合がストライキを連発したらいいんじゃないの?実際に日本の戦後もストライキは多かったわけだし」という考えに至ります。
<戦後日本の争議件数>
日本では今でこそストライキの件数は減少していますが、かつてはストライキが多発していました。「春闘」が開始されたのは1955年とされていて、春の労働条件交渉の「切り札」として労働組合はストライキを使っていました。
日本の厚労省「海外情勢報告」では主要国の労働法と社会保障法の概要と直近の情勢が毎年紹介されています。以下はフィリピンについての最新の記述です。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kaigai/19/dl/t5-07.pdf
この報告ではフィリピンの労使関係を、
いずれの理由から発生する労使紛争であっても、労使紛争の結果ストライキ等の争議行為に発展することはほとんどない。
そして、1987年制定の現行憲法では第Ⅷ部第3条で
労使間の自主的解決を基本理念とし、様々な労使または政労使の対話の場を国が整備し、国は争議行為や裁判となる前に解決すべく裁判外紛争解決制度の充実に力を入れている。
と説明しています(以上同報告書の343ページ)。しかし労使関係(例えば敵対的~協調的など)のあり方はその国の賃金・労働市場や政治情勢を理解する上で重要なファクターになるので、フィリピン労使関係がどのような経緯でここに至ったかを概観していきましょう。
1965年から大統領を務めていたF.マルコスは1986年2月のエドゥサ革命によりその職を追われ、C.アキノが後任の大統領に就任しました。マルコス時代は戒厳令により人々の自由は奪われていましたので、アキノ大統領になり労働運動も盛り上がりを見せるかと思われましたが、1987年に労働省令(Department Order(DO))007-87が公布されます。
DO007-87では第3条で「ノーストライキ/ノーロックアウト条項」をすべての労働協約に導入するよう義務付けました。同時に第5条では、苦情や紛争の処理は労使委員会やあっせん、仲裁により解決することも義務付けました。
日本の戦後のストライキ件数が、経済や労使関係の成熟を背景に減少していったと考えられる一方で、フィリピンにおいては人工的に、もっといえば強制的にストライキの少ない情勢が作り上げられた、と推察できるでしょう。
赤で囲った部分が実際にストライキに至った件数であり、2015年は5件、16年は15件、17年は9件です。日本では2017年の半日以上のストが38件、半日未満のストが46件ですから(厚労省「平成29年度労働争議統計調査」)、日本よりずっと少ないということになります。
仮に労働組合が会社側と上手く交渉してそれなりの労働協約を締結できていたとしても、企業外への労働協約の拡張適用制度がない場合には組織率が低ければ波及効果は期待できません。ということで、また統計を見てみると、2016年で官民合わせた組織率が6.5%、協約カバー率が7.2%と、どうやらフィリピンの労働組合活動は低調なようです。